福岡、第2次ボウリングブームの頃

 ボウリングブームの第2次最盛期、昭和46年に福岡市内にあったボウリング場を 当時のレジャーガイド本から拾ってみた。数字はレーン数。 当初、ボウリング場経営に参画したのは衰退産業だった映画館経営者、紡績工場や炭鉱経営者が多かった。

カネボウ福岡ボウリングセンター(現・キャナルシティ博多)32
 ※昭和36年、鐘紡紡績工場跡地(現在のキャナルシティ博多の場所)に開館、九州初のボウリング場。ここには、ボウリング場の他、ゴルフ場、プール(冬はアイススケート場)などスポーツのメッカだった。
□福岡スターレーン(博多スターレーンとは別、大名にあった)32
 ※現在のJTビルの場所、飯田屋敷の大銀杏がある一角にあった。炭鉱会社経営。
□フォーカスボウリングセンター(博多駅前、現・東横インの場所)30
□博多ボウリングセンター(中央区清川)30
□福岡西新ボウル(西新パレスとは別、西新パレスは翌47年開業)14
□リンデン清川レーンズ(現在はパチンコ店)24
□福岡体育館ボウル(博多駅前、現在は福岡ファッションビル)28
□福岡東映ボウル(中央区舞鶴)32
□博多プレイランド(元博多パラダイス、博多ポートタワーの場所)8

 驚くのは現存するものがひとつも無いこと。この後にできた施設でも 残っているのはごく僅かで、レジャー施設の栄枯盛衰と悲哀を感じる。 福岡市内に限らず、北九州の「若戸スポール」「到津パレス」なども 今は無い。
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(文章@益田啓一郎 http://www.asocie.jp/
(写真@アソシエ地図の資料館 http://www.asocie.jp/archives/

森永キャンデーストア

 森永キャンデーストアは、森永製菓がキャンデーやアイスクリームなど森永の商品をPRする目的で戦後本格的に全国展開したレストランです。戦前も全国数カ所に店舗があり、福岡市にも天神に店舗があったそうです。

 戦前は「キャンデーストアー」と表記。戦後は昭和29年に建て替えられた花関ビル(中洲・西大橋のたもとのビル)1Fに開店し、ここで初めてミルクセーキやケーキ、珈琲を飲んだという方も多いようです。大人向けというよりも家族で中洲に映画を観に来たり、福岡玉屋で買い物をするついでに立ち寄ることが多かったとのこと。

 この「森永キャンデーストア」に行ったことのある方、働いていた方、メニューの思い出などあれば教えてください。可能な限り集めた資料を順次公開します。

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(文章@益田啓一郎 http://www.asocie.jp/
(写真@アソシエ地図の資料館 http://www.asocie.jp/archives/

福岡のパン屋さん元祖「三好屋」

 明治30年創業、福岡県内で一番早く開店した老舗パン店「三好屋」は福岡市博多区祇園町にあった。
 当時は北部九州にパン店は無く、パンを食する習慣も当然無い。明治35年佐世保海軍御用達、福岡医科大学(のち九州大学)御用達。明治38年日露戦争で戦勝しロシア人捕虜1000人は渡辺與八郎らの手引きで東中洲に収容所が開設されて収容、ここへ食パンを納入した。
 ロシア人の収容時、捕虜は自由に博多の町へ繰り出すことも許され、これが東中洲に歓楽街が誕生するきっかけとなる。大正3年のドイツ人捕虜収容時と合わせ、福岡の町でパン食が普及するきっかけともなった。
 明治末のあんぱん1個の価格は1銭、一般人へのパン食も次第に広がり、昭和13年には福岡市内に37軒のパン店ができたという。福岡高校など市内の複数の高校の売店のパンも担当していたので、懐かしい方も多いだろう。
 2006年8月末に後継者不在により閉店。
(文章@益田啓一郎 http://www.asocie.jp/archives/