柳原白蓮と赤銅御殿跡と竹久夢二

 天神3丁目、現在伊藤ビルや証券取引所がある一帯には昭和の初めまで、炭鉱王・伊藤伝右衛門が筑紫の女王と謳われた愛妻・歌人柳原百蓮のために建てた「赤銅御殿」があった。年齢差のあった伝右衛門と百蓮の夫婦仲はうまくいかず、百蓮は宮崎龍介のもとへ走った。

 昭和28年10月19日、約30年ぶりに福岡・赤銅御殿跡を訪ねた白髪の百蓮は、ビルの谷間で詠んだのが

 わかき日 わが思い出の ふる里よ
  夢もなみだも 今はこいしき

という詩である。
百蓮の詩集の装丁を担当していた画家・竹久夢二は、大正7年8月に天神町の「赤銅御殿」に百蓮を訪ねている。その時の夢二の日記には当時の博多の風景を「古い博多の柳町を見る。三浦屋、みよしや、えびすやの門ばなり残ったのや医者の交って住んでいるのや土蔵の上の草を見て歩いた。」とある。旧柳町遊郭(現在の大浜)の移転跡のことを記している。