松本清張と福岡市

 北九州・小倉出身の文豪・松本清張の作品には、地元九州を舞台にしたものも多い。福岡市を舞台にした作品の代表といえば「点と線」。香椎海岸(現在は埋め立てで風光は一変)や西鉄香椎駅(旧駅舎)はこの作品で全国へ存在が広まった。

 松本清張は自伝的本「半生の記」などに若い頃の苦労話しや、画工(デザイナー)見習いとして過ごした時期のことを断片的に記しているが、全集や単行本に未収録で福岡市の観光ガイド(昭和42年刊行)に記した寄稿文は、松本清張記念館でも把握していないそうだ。

 わずか1200字ほどの文章だが、そこには他では触れられていない福岡市でのエピソードや通ったお店の名が記されている。東中洲・那珂川の袂に開店したばかりのカフェ・ブラジレイロのこと(高級感あって敷居が高く外から眺めるだけだった)、千日前にあった大衆食堂「千里十里」に入るのが最高の贅沢だったこと、千代町角にあった古書店「山内書店」に通っていたこと、印刷会社・島井精華堂でのデザイン修行のこと(博多の豪商・島井家の末裔)等々。

 記憶力の良い氏にあっても、さらっと書いた30年も昔の福岡(博多)の思い出話は、所々で記憶違いや勘違い解釈も見受けられて、それも面白い。休日には西鉄電車(当時は博多湾鉄道、現在の貝塚線)で名島や香椎海岸に行ったことも書かれていて、そこで東洋一の「雁ノ巣飛行場」のダグラス機が飛んでいたのが懐かしいと記しているが、氏がデザイン修行で博多にいたのは昭和8年末から昭和9年春まで。この時、まだ雁ノ巣飛行場は開場していない。

 「点と線」で香椎を舞台にした理由も細かく綴られているが、氏の福岡での行動をもっと細かく知りたい。